SONYとAppleについて書かれた本3選

自分は過去SONYのウォークマンNW-A605という音楽プレイヤーを使っていました。

これは、「CONNECT-Player」というソフトを使って音楽ファイルデータをWindowsXPのパソコンからNW-A605に転送し使うのですが、このCONNECT-Playerの使い勝手が悪く、iPod Classicに乗り換えました。

そんな経験を持つ自分がソニーやジョブズ氏について書かれた本を読み、思うところが色々ありました。

iPod ClassicとSONY_NW-A605

== 目次 ==

佐高信、辻野晃一郎 共著 |日本再興のカギを握る「ソニーのDNA」

本書は、ソニーからグーグル日本法人社長を務めた後に起業した辻野氏と、経済評論家の佐高氏との共著本です。

出るクイが如くの開発者たち

1969年にはソニーの『「出るクイ」を求む!』という言葉が踊る求人広告が出されたそうですが、なるほどと思わされる人物が『日本再興のカギを握る「ソニーのDNA」』では紹介されています。

プレイステーションの開発者|K氏

磁気媒体に写真映像を記録する開発などに関わっていたK氏は、任天堂がゲームソフトのデータを記録する媒体をROMカセットから磁気メディアに変えたとき(ディスクシステム?)に2インチフロッピーを売り込みに行き、ゲームビジネスの将来性に気づき、やがてこの流れからソニー・エンターテインメントが設立されるにいたります。

辻野氏はこのK氏について「毎日喧嘩みたいな感じでした。」「上だろうが下だろうが、社外の人だろうが、感情的になると関係なしに、もう凄まじい。激しく人を面罵します。」と記しています。

K氏が本社に戻った際に辻野氏が挨拶に行くと、初めは機嫌がよかったのですが、だんだん興奮して社の現体制を罵倒し始め、「お前も片棒担いでるんだからクビだ」などと言われてしまいます。

情報処理研究所のK氏

画像処理でADRCという独自の帯域圧縮方式を発明したり、 DRC(デジタル・リアリティー・クリエーション)というチップの開発に貢献されたそうです。

辻野氏によれば、「自説を絶対に曲げない」「商売を優先する人を嫌うところもある」「事業部といつも喧嘩していて折り合いが悪い」。_____

こちらのK氏は大賀氏など社内のサポーターがいなくなった後、様々な嫌がらせをされるようになり、ソニーをやめられたそうです。

辻野氏自身も

辻野氏は1984年に同期700人と共にソニーに採用されますが、新人研修の際、人事担当者に「少数精鋭と言いながら、なんで700人も採るんだ」と聞いたそうです。これに対する答えは「人事らしい優等生的な答え」だったそうです。

ホームビデオ訴訟とコピーコントロールCD

SONYが家庭用VTRを商品化した際に、米国でホームビデオ訴訟が起こされました。これは最高裁までいって、判事の一票差で勝訴します。

辻野氏はこの訴訟について、

「原告に日和ったり怖じ気づいて示談金を払ってしまっていたら、映像コンテンツ利用をめぐる歴史の流れがかわっていた。」

「ホームビデオが商品化され、映像コンテンツの二次利用、三次利用の市場が生まれて、それが今のユーチューブやネットフリックス、アマゾンプライムなどにまで繋がる系譜の源流になった。その源流は盛田さんが作ったんです。」(127頁)

と解説します。

つまり、映像作品について権利者が過度に利益を囲い込まずにいたからこそ、その後の発展につながったということでしょう。

しかしソニーはこのような過去の流れとは真逆のことをします。コピーコントロールCD(以下CCCD)のことです。

CCCDは、2000年代に音楽CDからリッピングした音楽ファイルを違法アップロードするなどの行為が増加したことから、音楽データを複製したりパソコンへコピーしたりできなくする目的で開発されたもので、ソニーは「Key2Audio」というものを開発します。

自分も経験しましたが、これらのCCCDは非常に使い勝手が悪く閉口しました。

PCで再生しようとすると、CDをドライブに入れた時点で勝手に再生ソフトがインストールされるのでびっくりしたのを覚えています。

WikipediaによるとCCCDにたいする不評などからソニー・ミュージックエンタテインメントでは2004年11月17以降発売のものはCCCDを廃し、CD-DA方式で発売となったそうです。

これはソニー自身が著作権益者になって、かつてのホームビデオ訴訟の際の立場とは真逆の立ち位置になってしまっていた、ということでしょうか。

ウォルター・アイザックソン著 |スティーブ・ジョブズ

同書は伝記作家のアイザックソンが、プライバシーを明かさないことで知られたジョブズに「僕の伝記を書いてくれ」と請われて書かれたものです。

ジョブズは「本書に口は挟まない」「あらかじめ見せてもらう必要もない」と宣言してアイザックソンを驚かせます。

そんなジョブズ氏の伝記ですが、自分の興味を引いたのはやはり、自分が使ったアップル社製品の開発にまつわる話でした。

iPodの同期を一方向へ制限した理由

iPod開発に際してのコンセプトは「1000曲をポケットに」でした。

iPod開発当時に問題になっていた違法ダウンロードに関して、アーティストが対価を手にできるようにしなければならないと考え、「iPodを手にして友人宅に遊びに行き、友人のコンピュータへ曲をコピーする」といった行為をできなくするため、コンピュータからiPodに曲は遅れるが、その逆はできないという仕様にしました。

海賊版をなくすいい方法

前述したCCCDの導入は、音楽業界などの「海賊版などにより正規版CDの売り上げが減少している」との声をうけ開発が進められました。

一方、スティーブ・ジョブズは違法ダウンロードに関しては、

「ああいう形で盗んでいる人の80パーセントはやりたくてやっているわけではなく、合法的なやり方がないからやっているんだ。だから我々は『それに代わる合法的なやり方を作ろう』と考えた。」(174頁)そうです。

一曲99セント

さらにレコード各社を相手に「一曲単位でのバラ売り」を提案します。

これには、人気の曲とつなぎの曲でアルバムを作り収益をあげているレコード会社と、芸術的な観点からは一部のミュージシャンが反対したそうですが、ジョブズは「海賊版やオンラインダウンロードでアルバムはもうバラバラにされていたからね。曲単位で売らなければ海賊版には対抗できなかった」(175頁)と考えていました。

当初はiPodをWindowsでつかえなくしようとしたジョブズ

「iPodがマック専用だからこそ、マックは予想以上に売れたんだ」(188頁)。

そう云い、ウィンドウズユーザーにはiPodを使わせないとしたジョブズに、周りが反対します。

販売シナリオを用意しジョブズを説得すると、今度はジョブズはウィンドウズ用のiTuneの開発を主張しますが、これには周りが反対し、当初はウィンドウズ用にミュージックマッチというソフトウェアが開発されます。

しかしこのソフトのできが酷かったため、改めてウィンドウズ用のiTuneが開発されます。

iPodからマックへの流れ

私自身、WindowsでiPodやiTunesを使い、その後にiMacを使い始めました。

これと同じようにiPhoneを使ったウィンドウズ・ユーザーでマックへ乗り換えた人も多くいらしたのではないでしょうか。

この流れは、ジョブズが自説を曲げずにウィンドウズ・ユーザーにiPodを使わせなかったらできなかったでしょうし、ウィンドウズ版のiTunesの開発を主張したジョブズがいなくてもできなかったでしょう。

2003年の10月サンフランシスコでジョブズは「ウィンドウズ用iTunesは、おそらく過去最高のウィンドウズアプリケーションだ!」(191頁)とぶちあげます。

井深精神を体現したジョブズ

前掲の『日本再興のカギを握る「ソニーのDNA」』の前書きではソニー井深氏の言葉が紹介されています。

「自分がいいものに気がついたら納得するまでやって、上司も納得させなけれなならない。トップがわからなかったらケンカしてでもいいところをわかってもらえるよう、とことんやっていかないと本物にはならない。」(5頁)

アップル直営店

顧客の体験すべてをコントロールしたいと考えるジョブズは、米国のディスカウントストアの経験のあるロン・ジョンソン氏と1999年に初めてあった時、アップルの実店舗にかける思いを一気にまくしたてます。

しかしこのアイデアは取締役会では不評でした。ゲートウェイの失敗事例や、無店舗の直販で成功しているデル社の事例などと比べれば無理もありません。

プロトタイプの店舗をつくり6ヶ月間検討を重ねます。そしてその検討が終わろうとする2000年10月、ジョンソン氏は、パワーブック、iMac、iBook、パワーブックと製品ごとに展示していた店舗のコンセプトが間違っているのではと考えます。

「たとえばムービーコーナーを作り、iMovieを走らせたマックやパワーブックを色々と置いて、ビデオカメラから映像を取り込んで編集するところを見せたらいいんじゃないかと思ったんです。」(139頁)

ジョンソン氏がはこのことを伝えると、ジョブズから荒い言葉の洗礼を浴びますが、沈黙ののちにジョブズは同意し、レイアアウトはやり直されることとなります。

2001年1月。ついに完成したプロトタイプの店舗をみた取締役らは満場一致で店舗の設置を承認しました。

iTunesストア

2000年代、音楽の違法ダウンロードや海賊版のサービスに苦しめられた音楽業界はデジタル音楽のコピー防止企画の合意を急いでいました。

2002年1月、ワーナーミュージックのポール・ヴィディック氏とAOLタイムワーナーのビル・ラドゥシェル氏はアップルに参加を呼びかけます。この会合ののち、ソニーはワーナーとの協力関係を解消、ユニバーサルと月額制の音楽配信サービスを始めます。

AOLタイムワーナーは、ベルテルマン、EMI、リアルネットワークス社とともに、ミュージックネット社を設立。

音楽配信サービスでは、ストリーミングで楽しめるがデータを手元に置けず、契約期間後は聞くことはできない。音楽データを手元に置くためにはCDを買うか、違法ダウンロードしかない。

こういった現状をかえるため、ジョブズはiTunesストアでデジタル化した楽曲を販売できるよう大手5社を説得しました。

「自らのために正しいことをしてくれと説得して歩くのにあれほど時間を使ったことはなかったよ。」(174頁)

デジタル配信の許諾を得るためやアルバムの楽曲をばら売りできるようにするために、ジョブズは、レコードレーベルだけではなくアーティスト本人をも説得する必要がありました。

以下はこの説得工作に巻き込まれたワーナーのロジャー・エイムズ氏の証言__。

「夜中の10時でもおかまいなしに自宅に電話してきて、レッド・ツェッペリンやマドンナもなんとかしなきゃいけないと言うんですよ。なんとしてでもやり遂げるという強い意志をかんじました。スティーブでなければ、あの辺のアーティストを皆説得するなどとても無理だったと思います」(183頁)

ジョブズに"拉致"されてしまったウィントン・マルサリス氏の言葉もあります。

「わたしはコンピュータにあまり興味がありませんし、そう、何度も彼に言ったのですが、結局、丸2時間もデモを、見せられました。まるで取り憑かれている感じでした。途中からわたしはコンピュータよりも彼を見ていましたよ。その情熱がすごいと思ってしまったものですから」(184頁)

清武英利著 |奪われざるもの_SONY「リストラ部屋」で見た夢

同書は「リストラ部屋」に焦点をあてて、SONYの変哲を様々な当事者の証言とともに描きあげられたものです。

技術はあれど結実せず

リチウムイオン電池とCMOS(シーモス)カメラ

リチウムイオン電池は世界で初めてソニーが91年に商品化しました。またCMOSの半導体受像素子はソニーのデジタルカメラでつかわれ、iPhoneのカメラにもつかわれています。

これらの技術は別々の部署で開発されたものですが、車載機器部門の事業部長をつとめたH氏は、当時のCEOのI氏にこれらの技術を使って新規事業をやらせて欲しいと直訴しますが、「事業本部長の了解を取り付けろ」と言われてしまいます。

その後CEOがS氏に変わった際、H氏はリチウムイオンとCMOSセンサーを活かすため自動車電装品会社との合弁会社を提案しますが、これも実現はしませんでした。

準静電界

光学博士のT氏はソニーの情報技術研究所で「準静電界」という分野に着目して実用化を試みていました。

人体を一種のアンテナとして機能させ、個人認証や会議通信などに応用しようとしていました。しかし、当時の上司には理解されず、「君はウチでは仕事がない。要らない人間だ」と言われてしまいます。

社内転籍の話も具体化せず、「リストラ部屋」に移動を命じられます。

このリストラ部屋では休職活動以外は禁止されていたのですが、T氏はハンダごてやドリルなど自前の道具を持ち込み研究を続けました。そして、その様子をじっと見ていたらしい人事監督者から「そこまでやるんだったら、上の幹部に試作品を見せに行けよ」といわれ、技術本部に引き戻されました。

その後T氏はソニーを退職し東京大学生産技術研究所の特任准教授になり、民間企業とともに共同研究をされているそうです。その一つがJR東日本と取り組んでいる「タッチレスゲート」です。

まぼろしの端末

2007年春、新規事業創出部門への募集に応じた6人の社員が集められます。

何をやるのかから決めなければいけなかった部署の6人は話し合い、通信料を低価格で固定したタブレット端末の開発という方針が決まります。

タブレット端末を売り出しても通信料がネックになり簡単には普及しないことを予想。ソニー単独ではなく異業種他社の力を借り開発し、グーグルのアンドロイドを搭載する方針でした。

そして、プリンターメーカーがインク販売で利益をあげるように、プレイステーションがゲームソフトで他のビジネスにつなげるように、この新型端末を売り切りにせず、販売した端末上でさらに利益が出るような事業にするというものでした。

提携する企業が増え、6人のメンバーが150人ほどの大所帯となっていきます。

端末の試作品が完成し通信会社などの企業らと提携話がまとまっても役員会からゴーサインは出ません。

リスクをとって決断する幹部もなく、提携企業から「ソニーさんは時間がかかりますねえ」と皮肉をいわれているうちに、アップルがiPadを発表します。

2010年4月、米国での販売初日にiPadは30万台を売り、アプリは100万本ダウンロードされました。

これにより、ソニーは方針を変えiPodのようなアンドロイド端末を開発し、売り出されます。

後にこの開発メンバーは人事部担当者と面談をうけ、「このまま残留」「社内募集などを通じて他部署へ移動」「早期退職」の3択を迫られることとなります。

AppleにあってSONYにないもの

上記の残念な事例でわかるのは決断力とスピードの大切さです。

前出の「スティーブ・ジョブズ」には以下のような話が出てきます。

東芝のハードディスクドライブ

ポータブルの音楽プレイヤー制作を模索していたアップルは、小型液晶やリチウムポリマーは調達できていましたが、理想のディスクドライブが見つかっていませんでした。

アップル社のルビンシュタイン氏がサプライヤーである東芝で、完成予定の小型ハードディスクドライブの話がでます。

ルビンシュタイン氏がこの話をジョブズ氏にすると即決。小型ディスクドライブを全て独占する権利を得る交渉を始めます。

iPod 第五世代から取り出した東芝のハードディスクドライブ

iTunesストア

iTunesストアに参加を呼びかけられた音楽関係者らの一人、ジミー・イオヴァイン氏は言います。

「どうしてソニーがだめだったのか、私にはまったく理解できません。史上有数の失策でしょう」「アップルの場合、社内で協力しない部門は首が飛びます。でもソニーは社内で部門同士が争っていました」(180頁)

さらには、部門同士の「共食い」にも言及されます。

『iPhoneを出せばiPodの売り上げが落ちるかもしれない、iPadを出せばノートブックの売り上げが落ちるかもしれないと思っても、ためらわずに突き進むのだ。』(193頁)

今後に期待

上記の本について色々書いてきましたが、自分はAppleやSONYの製品をたくさん使っており、これからも購入することとなると思います。

願わくば、健全な開発競争で優れた製品を世に送り出してもらい、自分もこれらの恩恵に預かれれば嬉しく思います。

ウォルターアイザックソン氏の「スティーブ・ジョブズ」はコミック版も出ているようです。活字が苦手な方はこちらでも楽しむことができます。